埼玉県発祥のもの35選|しまむらもファミマも実は埼玉生まれ

秩父・聖神社の和同開珎のモニュメント。実は埼玉が発祥
目次

暮らしを支えるチェーン店と企業 14選

コンビニのレジで買い物袋を渡す店員。ファミリーマートの1号店は狭山市の実験店だった
ファミリーマートの1号店は、狭山市にできたスーパーの実験店でした

しまむらも、日高屋も、ヤオコーも。毎日の暮らしで使う店が、そろって埼玉育ちです。
東京へ通う人の街として人口が増え続けた埼玉では、ふだんの生活の需要が膨らみ続けました。
その日常が、安くて頼れる全国チェーンを鍛えたわけです。

ファミリーマート(狭山市)——スーパーの「実験店」が1号店だった

1973年9月、スーパーの西友ストアーが狭山市にコンビニの実験店舗「狭山店」を開きました
これがファミリーマートの1号店で、今も「入曽(いりそ)店」として営業しています。
1976年に「ファミリーマート」の名前でフランチャイズの募集を始め、全国へ広がりました。
日本生まれのコンビニとしては、最も早い時期の1軒です。

しまむら(小川町)——呉服店から「しまラー」へ

1923年、比企郡小川町で「島村呉服店」として創業しました(1953年に株式会社化)。
もともとは主婦向けの衣料品店でしたが、若い世代向けに舵を切り、中高生を中心に「しまラー」「しまパト」という言葉まで生みました。
本社は現在さいたま新都心にあります。

千疋屋総本店(越谷市)——店は江戸に開いたが、名前のふるさとは埼玉

高級果物店の千疋屋(せんびきや)。
店そのものは1834年に江戸・日本橋に露店を構えたのが始まりです。
ただし創業者の大島弁蔵(おおしまべんぞう)氏は、武蔵国埼玉郡千疋村(現在の越谷市周辺)の出身で、村で採れた果物を水路で江戸へ運んで売っていました。
「千疋」の名は、この村の名前です

ほっかほっか亭(草加市)——「温かい弁当を買う」を当たり前にした

1976年、草加市で創業した持ち帰り弁当の店が始まりです。
それまで買う弁当は冷めているのが普通でした。
炊きたてのご飯と作りたてのおかずを温かいまま渡す、という形をここで作りました。

山田うどん(所沢市)——1935年の製麺所が、関東の「ファミリー食堂」に

所沢市で1935年に製麺所として創業しました。
黄色い看板に「かかし」のマーク。
関東のロードサイドで育った人には、説明のいらない存在です。
本社も本店も、今も所沢にあります。

日高屋(さいたま市大宮区)——5坪のラーメン店から始まった

1973年2月、大宮に約5坪のラーメン店「来来軒(らいらいけん)」を開いたのが始まりです。
のちに日高屋へ名前を変え、関東を中心に店舗を増やしました。
運営会社「ハイデイ日高」の社名には、ラーメンを食べて「ハイなデイ(高揚した一日)」に、という願いが込められています。

ぎょうざの満洲(所沢市)——「3割うまい」は所沢生まれ

1964年、所沢市緑町で中華料理店「満洲里(まんしゅうり)」を創業したのが始まりです。
1977年に屋号を「ぎょうざの満洲」に変えました。
現在の本社と工場は川越市にあり、生餃子は坂戸市の工場で作られています。

がってん寿司(寄居町)——回転寿司チェーンのふるさとは秩父の入口

運営するアール・ディー・シーは、1986年に大里郡寄居町で設立されました。
本社は今も寄居町にあります。
秩父への入口にあたる小さな町から、国内外に約280店舗を展開するまでになりました。

ヤオコー(小川町)——しまむらと同じ町で、1890年から

1890年(明治23年)、川野幸太郎(かわのこうたろう)氏が武州小川町に「八百幸商店」を創業しました。
1958年にセルフサービスのスーパーへ業態転換。
しまむらと同じ小川町から、関東で200店舗近いスーパーが育っています。

マルエツ(さいたま市浦和区)——魚屋から始まったスーパー

1945年、浦和で魚を扱う「魚悦(うおえつ)商店」として創業しました。
1965年にセルフサービスの1号店を大宮に開き、1977年には食品スーパーとして初めて東証二部に上場しています。

ベルク(秩父市)——秩父の「主婦の店」が出発点

1959年、秩父市に「主婦の店 秩父店」を設立し、1号店の宮側店を開いたのが始まりです。
1992年に社名をベルクに変更。
本社は鶴ヶ島市に移りましたが、関東で約150店舗を展開するスーパーの原点は秩父にあります。

島忠(春日部市)——明治の箪笥店が、家具とホームセンターの「ホームズ」に

明治時代、春日部で箪笥(たんす)店「島村箪笥製造所」として創業しました。
家具の製造から始まり、家具専門店、そしてホームセンター「ホームズ」へと広がっています。
本社は今もさいたま市にあります。

大塚家具(春日部市)——同じ春日部の、桐箪笥の職人から

1928年、創業者・大塚勝久(おおつかかつひさ)氏の父で桐箪笥(きりだんす)職人の大塚千代三(おおつかちよぞう)氏が、春日部で桐箪笥の工房を立ち上げたのが原点です。
1969年に勝久氏が独立し、春日部駅前に1号店を開きました。
島忠も大塚家具も春日部。
春日部はもともと桐細工の産地で、そこから全国区の家具店が2つ生まれています

マウスコンピューター(春日部市)——衣料品店の立て直しから、パソコンへ

1993年、春日部市で家業の衣料品店を立て直すためにパソコン事業を始めたのが出発点です。
1998年、春日部市粕壁東(かすかべひがし)にマウスコンピュータージャパンを設立しました。
国内生産にこだわるパソコンメーカーは、埼玉の商店街から生まれています。

埼玉が生んだ食 9選

皿に盛られたうなぎの蒲焼。中山道の宿場町・浦和が発祥とされる
浦和は中山道3番目の宿場町。旅人に出したうなぎが名物になりました

中山道と日光街道が通り、浦和・草加は宿場町でした。
旅人に出した料理と、街道沿いの畑。それが今も全国で売られています。

うなぎの蒲焼(さいたま市浦和区)——中山道の宿場で、旅人に出した

江戸時代、浦和は中山道3番目の宿場町でした。
周辺は川や沼が多くうなぎがよく獲れたため、宿場に来る人にうなぎを蒲焼にして出したのが始まりとされています。
「浦和のうなぎ」は江戸や京都まで知られ、江戸時代から続く店が今も営業しています。
地場のうなぎは開発でいなくなりましたが、味は受け継がれています。

ガリガリ君(深谷市)——かき氷を、片手で食べられるようにした

深谷市に本社を置く赤城乳業が、1981年に発売しました。
もともと1964年からカップ入りかき氷「赤城しぐれ」を売っていましたが、オイルショックで値上げを迫られ、もっと手軽に食べられる新商品として考えたのがスティック型のかき氷でした。
当たり付きの棒は今も続いています。

草加せんべい(草加市)——日光街道の宿場で売られた

江戸時代、日光街道の草加宿で、団子状にした米を乾かして焼いたものを売ったのが始まりとされています。
今は草加煎餅協同組合などの地域団体商標になっていて、「草加せんべい」と名乗れるのは地元で作られたものだけです。

狭山茶(川越市・中院)——お寺で、薬として育て始めた

830年頃、川越の中院(なかいん)を開いた円仁(えんにん・慈覚大師)が、京都から茶の種を持ち帰り、境内に薬用として植えたのが始まりと伝わります。
静岡・宇治と並ぶ「日本三大茶」のひとつで、「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」と謳われてきました。
中院の境内には「狭山茶発祥之地」の碑があります。

十万石まんじゅう(行田市)——「うまい、うますぎる」は1952年から

1952年、行田市に開いた和菓子屋「福茶屋」が、十万石まんじゅうを主力商品として売り出したのが始まりです。
翌年、版画家の棟方志功(むなかたしこう)氏と出会い、包み紙の「まんじゅう姫」を描いてもらいました。
「風が語りかけます。
うまい、うますぎる」のCMは1980年から続いていて、行田本店の建物は国の登録有形文化財です。

梅林堂(熊谷市)——明治8年から、150年以上

1875年(明治8年)創業、熊谷の地で150年以上お菓子を作り続けている菓子舗です。
埼玉の銘菓「五家宝(ごかぼう)」をはじめ、和洋の菓子を扱い、県内を中心に店舗を広げています。

ゼリーフライ(行田市)——戦地で見た「野菜まんじゅう」がヒント

おからとじゃがいもを丸めて素揚げした、コロッケに似た行田の郷土食です。
行田にあった「一福茶屋」の主人が、日露戦争で従軍した中国で見た野菜まんじゅうをもとに考案したとされています。
名前の由来は小判形の「銭(ぜに)フライ」がなまったという説が有力です。

紅赤(さいたま市)——農家の主婦が見つけた、さつまいもの突然変異

明治時代、木崎村(現在のさいたま市)で農業をしていた山田いち氏が、畑で偶然見つけた突然変異のさつまいもです。
皮が赤く、栗のようにほくほくした味から「川越いも」の代表品種になりました。
山田氏は1931年、農業功労者に贈られる「富民賞」を受けています。

深谷ねぎ(深谷市)——明治30年頃から、本格栽培が始まった

深谷市周辺は幕末から明治にかけて藍(あい)や養蚕(ようさん)が盛んな土地でしたが、1897年(明治30年)頃から白ねぎの本格的な栽培が始まりました
冬の深谷ねぎは糖度が10〜15度前後にもなり、果物並みの甘さが特徴です。

歴史と文化の発祥 12選

ずらりと並んだ色とりどりの振袖。成人式は1946年の蕨町が発祥
成人式の始まりは1946年の蕨町。当時の参加者は国民服やもんぺ姿でした

成人式も、通りゃんせも、日本で最初に広く流通したお金も。
意外な「始まり」が、埼玉のあちこちに残っています

成人式(蕨市)——敗戦の翌年、若者を励ますために

1946年、蕨(わらび)の国民学校で、蕨町青年団が中心になって開いた式典が成人式の始まりです。
敗戦直後、不安の中にいた若者を勇気づけるためのもので、参加者は振袖ではなく、国民服やもんぺ姿でした。
蕨市には「成年式発祥の地」の碑があります。

通りゃんせ(川越市)——歌の舞台は、城の中の神社

わらべ歌「通りゃんせ」の発祥は、川越城の中にあった三芳野(みよしの)神社とされています(諸説あります)。
城内にあるため一般の人は参拝しにくく、「行きはよいよい、帰りはこわい」は、帰りの参拝客が警備で厳しく調べられたことを歌ったものと伝えられています。

日本の通貨(秩父市)——708年、ここで銅が見つかった

708年、秩父で自然銅が見つかりました
掘り出してすぐ使える純度の高い銅で、朝廷はこれを祝って元号を「和銅(わどう)」に改め、同じ年に「和同開珎(わどうかいちん)」を作ります。
実は日本最古の貨幣は、これより前の富本銭(ふほんせん)です。
ただし富本銭がどこまで使われたかははっきりせず、全国に広く流通した貨幣としては和同開珎が最初とされています。
秩父の和銅遺跡には「日本通貨発祥之地」の碑が建っています。

帝王切開(飯能市)——1852年、麻酔なしで日本初

1852年、秩父の医師・伊古田純道(いこたじゅんどう)氏と地元の医師・岡部均平(おかべきんぺい)氏が、飯能で日本初の帝王切開手術を行いました
難産で胎児が亡くなり、母体も危険な状態だったため、家族の了解を得て、オランダの医学書を頼りに行われたものです。
麻酔はなく、それでも手術は成功し、患者は88歳まで生きました。
飯能市には「本邦帝王切開術発祥之地」の碑があります。

日本初の飛行場(所沢市)——最初の飛行は、800メートル・1分20秒

1911年(明治44年)、日本で最初の飛行場「所沢飛行場」が開設されました
航空の研究と試験のための場所で、最初の飛行は距離800メートル、滞空時間1分20秒でした。
戦後は米軍に接収され、現在は跡地が所沢航空記念公園になっています。
所沢市は「日本の航空発祥の地」と呼ばれています。

保健所(所沢市)——1937年の「農村保健館」が原点

1937年、所沢に「農村保健館」が建てられました
関東大震災の復興支援として、アメリカのロックフェラー財団の援助で作られたもので、これが今の保健所の始まりです。
結核の予防接種であるBCGの国内初の接種もここで行われました。
所沢駅前には「保健所発祥之地」の碑があります。

国民健康保険(越谷市)——1936年、自営業者のための保険組合

当時、会社勤めの人には健康保険がありましたが、農家や自営業者にはありませんでした。
1936年に越谷で生まれた「越ヶ谷順正会(こしがやじゅんせいかい)」が、国民健康保険組合のさきがけとされています。
越谷市役所の敷地には「相扶共済(そうふきょうさい)」の碑が建っています。

日本の地質学(長瀞町)——「地球の窓」で、研究が始まった

長瀞(ながとろ)の川岸には、普通は地下深くにある結晶片岩(けっしょうへんがん)が地表に現れていて、地質学の世界では「地球の窓」と呼ばれます。
1875年(明治8年)、東京大学の地質学者ナウマンがここを調査し、以後多くの研究者が訪れたことから、長瀞は「日本地質学発祥の地」とされています。
記念碑も結晶片岩で作られています。

自転車のもと「陸船車」(本庄市)——江戸時代に、将軍へ献上された

江戸時代中期、本庄の庄田門弥(しょうだもんや)氏が、人の力で車輪を回して進む乗り物「陸船車(りくせんしゃ)」を考案したと伝わります。
舟に木の車輪を付けたような姿で、門弥が高齢だったため、息子の善兵衛が江戸まで運び、8代将軍・徳川吉宗に献上されました
門弥は93歳まで生きたと伝えられ、本庄市には陸船車を自転車のはじまりとして伝える碑が建っています。

氷川神社(さいたま市大宮区)——各地の氷川神社の、本社

大宮の氷川神社は武蔵国一宮(むさしのくにいちのみや)で、関東各地にある氷川神社の総本社です。
「大宮」という地名そのものが、この「大きな宮」に由来します。
参道は約2キロ。
日本有数の長さの並木道が今も残っています。

コウノトリ伝説(鴻巣市)——地名になった鳥の話

鴻巣(こうのす)に伝わる話です。
村のほこらの木に毎日お供えをしていた村人が、少しでも怠ると祟りが起きた。
あるときコウノトリが木のてっぺんに巣を作り、卵を狙う蛇を退治すると、祟りはなくなった
村人はコウノトリに感謝して、この地を「鴻巣(コウノトリの巣)」と呼ぶようになったと伝わります。

「埼玉」という県名(行田市)——万葉集の「さきたま」から

県名は、行田市にあった「埼玉(さきたま)村」に由来します。
奈良時代の万葉集に「さきたまの津」と詠まれ、平安時代から続く前玉(さきたま)神社もある、古い地名です。
1871年の廃藩置県で県ができたとき、この地名が県名に選ばれ、発音しやすい「さいたま」に変わっていきました。
行田市には「埼玉県名発祥之碑」があります。

番外編|本社は埼玉、でも発祥は別の土地

埼玉県の名物を集めたイラストマップ。川越の時の鐘・秩父の川下り・うなぎ・いがまんじゅうなど
埼玉の名物として知られるものたち。ただし「県内にある」と「ここで生まれた」は別の話です

東京に近く、土地もあった埼玉には、本社や工場を構える会社が増えたのかもしれません。
そして現在も本社は埼玉にあり、「埼玉の会社」として知られていても、発祥の地は別というパターンもあります。
今回の番外編では、そんな発祥じゃないけど本社は埼玉にある企業3社を挙げます。

サイゼリヤ——本社は吉川市、発祥は千葉県市川市

本社と工場は吉川市にあります。
ただし原点は、創業者の正垣泰彦(しょうがきやすひこ)氏が1967年に始めた「レストラン サイゼリヤ」で、1973年に千葉県市川市で法人化しました。
公式サイトも「創業の地、千葉県市川市本八幡」と記しています。

カインズ——本社は本庄市、発祥は群馬県伊勢崎市

ホームセンター最大手のカインズは、本社を本庄市に置いています。
しかし原点は群馬のスーパー「いせや」のホームセンター部門で、1989年に群馬県で株式会社カインズとして分離独立しました。
本庄へ本社を移したのはその後のことです。

曙ブレーキ工業——本社は羽生市、発祥は東京

自動車のブレーキで知られる曙ブレーキ工業。
本社は羽生市にあります。
原点は創業者が東京・雑司ヶ谷(ぞうしがや)で営んでいた「曙工場」で、社名の「曙」はそこから受け継がれています。

まとめ|いちばん身近な埼玉発祥は、今日の昼ごはん

こうしてみると、埼玉は食のチェーン店が驚くほどたくさん生まれていることに気づきます。
日高屋も、山田うどんも、ぎょうざの満洲も。どれも気取らず、腹いっぱいになる店ばかりです。

今度これらのお店に入ったときは、ここが埼玉生まれだったなと思い出してみたいと思います。
それだけで、いつもの一杯が少しだけ違って見えそうです。

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