え、それ群馬だったの? 気づかれていない発祥 5選

最初は、言われないと群馬だと気づかないものたち。
全国区になりすぎて、出身地のほうが忘れられてしまったものばかりです。
築地銀だこ(みどり市)——発祥は群馬、なぜ「築地」を名乗るのか
まずは、名前から出身地を当てるのがいちばん難しいものから。
築地銀だこの1号店は、1997年に群馬県新田郡笠懸町(現・みどり市)のアピタ笠懸店内にオープンしました。
海のない群馬から始まった一軒の店が、全国に広がっていったわけです。
運営会社のホットランドも、2011年までは登記上の本店を桐生市に置いていました。1号店はみどり市、会社の本拠は桐生市。どちらも群馬です。
では、なぜ「築地」なのか。
答えは「築地で生まれたから」ではなく、「築地のイメージを借りたから」です。
当時の築地市場は日本一の魚市場。その本格感を一瞬で伝える看板として選ばれました。
「銀」は銀座から。つまり店名は、産地ではなく目指す場所を並べた名前でした。
そして2017年、創業20周年に本物の築地へ「築地本店」をオープン。20年かけて名前に追いついたわけです。
サッポロ一番(前橋市)——「サッポロ」なのに群馬生まれ
袋麺の定番・サッポロ一番。
作っているサンヨー食品は、1953年に前橋市で「富士製麺」として創業した会社です。
ではなぜ「サッポロ」なのか。
札幌のラーメン横丁に実在した店の味を手本にして作られたから、という理由でした。
1966年にしょうゆ味を発売し、その後みそ・塩と続いて、今や世界中で売られています。
銀だこといいサッポロ一番といい、群馬で生まれたものは看板より中身で勝負して全国区になっていく——そんな共通点があります。
徳川家(太田市)——将軍家のルーツは群馬の荘園
江戸幕府を開いた徳川家。そのルーツをたどると、群馬県太田市に行き着きます。
太田市周辺はかつて新田荘(にったのしょう)と呼ばれ、清和源氏の流れをくむ新田氏の本拠地でした。
徳川家康は自らをこの新田氏の末裔と称し、「徳川」の名も新田一族の得川郷に由来するとされています。
諸説ある話ではありますが、天下人が「群馬にルーツがある」と名乗ったこと自体が興味深いところです。
ペヤング(伊勢崎市)——名前の由来は「ペア」+「ヤング」
焼きそばの定番ペヤングソースやきそばは、伊勢崎市のまるか食品が発売しました。
名前の由来は「ペアで」「ヤングに」食べてほしいという願いから。
若いカップルに2人で1つ食べてもらうことを想定していたそうです。
今では1人で1つ食べるのが当たり前になっているのが、なんだか微笑ましい話です。
ネギトロ(渋川市)——海なし県が生んだ寿司ネタ
海のない群馬でネギトロが生まれた、という意外な話。
諸説ありますが、渋川市にあった赤城水産が始まりと言われています。
同社は伊香保温泉などの旅館へ水産物を卸していた会社でした。
当時、マグロの刺身にできない部分は、味に問題がなくても捨てられていたそうです。
それをすくって使ったのがネギトロの原型。もったいない精神から生まれた名脇役でした。
群馬発祥の「食」 8選

続いては食べもの。
温泉地の土産物、街道の駅弁、参拝客に振る舞われた麺——
どれも「人が集まる場所」から生まれているのが群馬らしいところです。
焼きまんじゅう(前橋市)——群馬県民のソウルフード
串に刺した白いまんじゅうに、甘い味噌だれを塗って炭火で焼く焼きまんじゅう。
前橋市の原嶋屋総本家(はらしまやそうほんけ)は1857年(安政4年)の創業で、群馬で最も歴史のある焼きまんじゅう屋として知られています。
そもそも群馬は小麦の一大産地。粉ものの郷土料理が多い土地でした。
焼きまんじゅうも、その小麦文化から生まれた一品です。
県外ではほとんど見かけないのに、群馬県民にとっては当たり前の存在です。
温泉まんじゅう(渋川市)——全国の温泉地に広まった原点
全国どこの温泉地でも売っている温泉まんじゅう。
諸説ありますが、渋川市の伊香保温泉が発祥と言われています。
1910年、伊香保の「勝月堂」が湯乃花まんじゅうを売り出したのが始まり。
温泉に浮かぶ「湯の花」の色に似せて、生地を茶色にしたのが特徴でした。
その後、群馬を訪れた昭和天皇がこの饅頭を大量に購入したことで、一気に全国区になったと伝わります。
水沢うどん(渋川市)——日本三大うどんのひとつ
透き通るようなコシの強い麺が特徴の水沢うどん。
渋川市の水澤寺(水澤観世音)の参拝客に振る舞われたのが始まりとされ、日本三大うどんのひとつに数えられます。
その歴史は400年以上。水澤寺は飛鳥時代の創建と伝わる古刹で、高麗から来日した恵灌僧正がうどんの製法を伝えたという言い伝えもあります。
江戸時代に伊香保温泉が湯治場としてにぎわい、坂東三十三観音の札所でもある水澤寺に参拝客が集まったことで広まりました。
門前には今も専門店が軒を連ね、ざるうどんで食べるのが定番です。
峠の釜めし(安中市)——駅弁の代名詞
益子焼の器に入った、駅弁の代表格・峠の釜めし。
安中市の荻野屋が発祥です。
碓氷峠を越える列車は勾配がきつく、機関車を付け替えるために横川駅で長く停車しました。
その待ち時間に売られたのが釜めしです。
食べ終えた器を持ち帰れるのも人気の理由で、家に1つ眠っているという方も多いのではないでしょうか。
だるま弁当(高崎市)——だるまの器で有名なあの駅弁
赤いだるまの形をした容器でおなじみのだるま弁当。
1960年(昭和35年)に高崎弁当が発売しました。
高崎弁当の創業は1884年、上越線の開通にあわせて駅でおにぎりを売り始めたのがルーツです。
高崎は縁起だるまの産地でもあるので、器のデザインは地元の名産をそのまま形にしたものでした。
下仁田ネギ(下仁田町)——「殿様ネギ」の別名を持つ特産
太くて短く、生では辛いのに火を通すと驚くほど甘くなる下仁田ネギ。
本来は下仁田町を含む甘楽郡と富岡市の一帯で栽培されてきた冬の特産品です。
江戸時代の文書にすでに登場し、当時から珍重されていたことがわかっています。
「殿様ネギ」の別名は、将軍に献上されたからとも、大名が江戸で配ったからとも伝わります。
面白いのはよそでは同じ味にならないこと。
下仁田の土を前橋へ運んで育てても、長野の試験場で栽培しても、あの肉質にはならなかったそうです。
礫まじりの粘土質で水はけがよい——その土地ごと必要な野菜でした。
シルクスイート(前橋市)——絹のような食感のさつまいも
焼き芋ブームの主役のひとつ、シルクスイート。
名前のとおり絹のようになめらかな食感が特徴で、しっとりとした甘さが人気です。
この品種を生み出したのは、前橋市に本社を置くカネコ種苗。
同社のオリジナル品種で、今では全国のスーパーや焼き芋店で見かけるようになりました。
地元・前橋では、この芋を使ったスイートポテトも人気商品になっています。
ガトーフェスタ ハラダ(高崎市)——手土産の定番ラスク
全国の百貨店で行列ができるラスク「グーテ・デ・ロワ」。
始まりは1901年、多野郡(たのぐん)新町(現・高崎市新町)で開業した和菓子店「松雪堂(しょうせつどう)」でした。
戦後は学校給食向けのパン製造を手がけ、そこからラスクにたどり着きます。
和菓子屋→パン屋→ラスクという、100年かけた業態転換の末の大ヒットでした。
全国区になった群馬の企業 9選

群馬は「まちの店」から全国チェーンへ育った企業がとにかく多い県です。
普段使っているあの店も、実は群馬が出発点かもしれません。
ヤマダ電機(前橋市)——町の電気屋さんから日本一へ
1973年4月、日本ビクター出身の山田昇さんが前橋市総社町(そうじゃまち)で電気店「ヤマダ電化サービス」を個人創業したのが始まりです。
つまり最初は、たった一人で始めた町の電気屋さんでした。
翌1974年に有限会社ヤマダ電機を設立し、そこから全国へ広がっていきます。
現在は家電だけでなく住宅や金融まで手を広げ、大塚家具を傘下に収めたことも話題になりました。
ビックカメラ(高崎市)——「ビッグ」ではなく「ビック」
ヤマダ電機と並ぶ家電量販店のビックカメラも、高崎市が発祥です。
正しい表記は「ビックカメラ(BIC CAMERA)」で、「ビッグ(BIG)」は誤り。
この「ビック(Bic)」は英語の方言で「外見だけでなく中身も大きい」という意味なのだそうです。
群馬から家電量販の二大チェーンが出ているというのは、なかなかの偶然です。
SUBARU(太田市)——中島飛行機から続くものづくり
自動車メーカーのSUBARUは、太田市に主力工場を構えます。
そのルーツは、1917年(大正6年)に中島知久平(なかじま ちくへい)が興した中島飛行機。
太田を拠点に日本有数の航空機・航空エンジンメーカーへ成長した会社です。
航空機づくりで培った技術が、戦後に自動車へ引き継がれました。
水平対向エンジンや四輪駆動へのこだわりは、この出自と無関係ではないでしょう。
ワークマン(伊勢崎市)——作業服から一般客へ
「やる気ワクワク、ワークマン」でおなじみの作業服チェーン。
1979年に群馬県伊勢崎市で創業したとされ、翌1980年に「職人の店 ワークマン」として群馬県内に1号店を開業しました。
会社としての設立は1982年、本社は今も伊勢崎市にあります。
近年はワークマン女子など一般客向けの業態も展開し、職人の店から一気に裾野を広げました。
そして今や作業服専門店では日本最大手。2020年11月には全47都道府県への出店を達成しています。
伊勢崎の1店から始まって、全国どこの県に行ってもワークマンがある状態になったわけです。
日清製粉(館林市)——日本初の機械製粉はここから
小麦粉でおなじみの日清製粉。
始まりは1900年、群馬県邑楽郡(おうらぐん)館林町(現・館林市)で設立された「館林製粉」でした。
そして翌1901年、日本で初めて機械による製粉を開始します。
石臼で挽いていた時代に機械化へ踏み切ったことが、日本の食を大きく変えました。
今の本社は東京ですが、日本のパンや麺の出発点は館林にあったわけです。
マンナンライフ(富岡市)——蒟蒻畑を生んだ会社
こんにゃくゼリー「蒟蒻畑」でおなじみのマンナンライフは富岡市の企業です。
群馬はこんにゃく芋の一大産地として知られ、下仁田や富岡のあたりでは傾斜地を生かした栽培が続いてきました。
煮物にするのが当たり前だったこんにゃくを、デザートに変えてしまったのが蒟蒻畑。
地元の素材の使い道を、まるごと発明し直した商品でした。
その実力は数字にも出ていて、蒟蒻畑は日本経済新聞社の「日経POSセレクション」で平成の売上NO.1に選ばれています。
今も群馬県産のこんにゃく粉を使い、群馬県内で作られ続けています。
JINS(前橋市)——メガネ業界を変えた会社
低価格・短時間でメガネが作れるJINS。
1988年に前橋市で有限会社ジェイアイエヌとして設立されました。
実はメガネ事業への参入は2001年で、しかも1号店は福岡。
会社としての出発点は群馬にあった、という少し変わった経歴を持っています。
正田醤油(館林市)——醤油の国内シェア3位は群馬の会社
醤油のシェア1位はキッコーマン、2位はヤマサ。では3位は——と聞かれて答えられる人は多くありません。
答えは館林市の正田醤油(しょうだしょうゆ)。2018年時点の国内シェアは6.5%で第3位です。
創業は1873年(明治6年)。キッコーマンの茂木家に醤油醸造を勧められて始めたのが起こりで、そのとき贈られた経営指導書が今も館林に残っています。
1位の会社に勧められて始めた会社が3位になった、というわけです。
そしてもうひとつ。正田家は上皇后美智子さまのご実家です。
お父様の正田英三郎(しょうだ ひでさぶろう)さんは館林町の生まれで、日清製粉の会長。
つまり日清製粉も正田醤油も、館林の正田家に連なる企業。
館林が「粉と醤油の町」なのには、一つの家系という理由もあったわけです。
カラオケまねきねこ(前橋市)——1号店は前橋の小さな店
全国展開するカラオケチェーンのまねきねこ。
運営するコシダカの前身は、1967年に始まった「上州ラーメン」というラーメン店でした。
1993年に前橋小相木(こあいぎ)店をカラオケまねきねこ1号店として開設。
ラーメン屋から始まってカラオケ日本有数のチェーンになる、という転身ぶりが群馬らしいところです。
歴史と文化の発祥 12選

最後は歴史と文化。
地図記号から、日本史の教科書に載るレベルの発見、日本のマラソン、ケーブルテレビまで。
「それも群馬だったのか」の連続です。
♨ 温泉マーク(安中市)——きっかけは農民の土地争い
地図でおなじみの、湯気が3本立ちのぼる温泉マーク。
安中市の磯部温泉が発祥とされています。
きっかけは意外なもので、万治4年(1661年)、付近の農民の土地争いに決着をつけるため江戸幕府が出した評決文でした。
その添付図に、磯部温泉を示す温泉記号が2つ描かれていたのです。
後の専門家の調査で、これが日本で使われた最古の温泉記号と判明しました。
村同士のもめごとの書類が、日本中の地図で使われる記号の出発点だったわけです。
旧石器時代の発見(みどり市)——日本の歴史を書き換えた
みどり市の岩宿遺跡は、日本の歴史そのものを変えた場所です。
戦後まもない頃まで、日本に旧石器時代は存在しないと考えられていました。
そこへ、行商をしながら独学で考古学を学んでいた相沢忠洋(あいざわ ただひろ)が、関東ローム層から石器を発見。
これにより日本にも旧石器時代があったことが証明されました。
教科書の最初のページが、群馬の赤土の中から生まれたわけです。
新陰流(前橋市)——将軍家に伝わった剣術
剣術の流派・新陰流(しんかげりゅう)を生んだ上泉信綱(かみいずみ のぶつな)は前橋市の出身です。
1560年代に成立したこの流派は、刀を持った相手に素手で勝つ「無刀取り」で知られます。
門下から柳生宗厳が出て、徳川将軍家の剣術指南につながったことで全国へ広まりました。
現代の剣道にも、この流れをくむ技術が残っています。
縁起だるま(高崎市)——冬の空っ風が生んだ副業
選挙や合格祈願でおなじみの赤いだるま。
高崎市は全国のだるま生産の中心地です。
始まりは文化年間、少林山達磨寺の近くに住む山県朋五郎が、住職に木型を彫ってもらい和紙を張って作ったものとされています。
では、なぜ高崎に根づいたのか。理由は気候でした。
冬の空っ風で空気が乾く高崎は、和紙を貼って乾かすだるま作りにうってつけ。
しかも冬は農閑期で、畑仕事のできない季節の副業として農家に広まりました。
養蚕が盛んな土地だったため、繭の形に似せた丸い型が生まれたとも伝わります。
冬の風と、蚕。群馬の暮らしがそのまま形になったのが高崎だるまでした。
自然保護運動(片品村)——尾瀬から始まった
湿原の景観で知られる尾瀬。
実はここは、日本の自然保護運動の原点とされる場所です。
戦後、尾瀬をダムにする計画や道路建設の計画が持ち上がるたび、住民や研究者が反対運動を起こしました。
「開発より自然を守る」という発想がまだ一般的でなかった時代の話です。
今、木道を歩いて湿原を眺められるのは、この運動があったからでした。
ダイナマイトの国産化(高崎市)——日本で最初に作られた場所
ダイナマイトを発明したのはスウェーデンのノーベルですが、日本で最初に作られた場所は群馬でした。
高崎市の岩鼻(いわはな)火薬製造所で、日露戦争中の1905年(明治38年)、工学博士の石藤豊太(いしとう とよた)を所長として日本初のダイナマイト製造が始まりました。
なぜ高崎だったのか。東京との間に船便があり、水車を回せるだけの水利に恵まれていた——つまり地形と川が決め手でした。
跡地は現在、県立公園「群馬の森」などになっており、かつて火薬工場だったとは思えない静かな場所に変わっています。
日本のマラソン(安中市)——起源は「侍の耐久走」
日本のマラソンの発祥といわれるのは、1855年(安政2年)の「安政遠足(あんせいとおあし)」です。
安中藩主・板倉勝明(いたくら かつあきら)が藩士の鍛錬のため、96人の藩士に安中城から碓氷峠(うすいとうげ)までを走らせました。
実施要綱には「足痛などによる遅れは構わないが、内緒で馬や駕籠で帰った者には処分がある」という規定まで残っています。江戸時代の侍も、こっそりズルしたくなったのでしょう。
安中城址には「日本マラソン発祥の地」の石碑が建ち、現代でも「安政遠足 侍マラソン」として大会が続いています。
ケーブルテレビ(渋川市)——温泉街の「テレビが映らない」から
日本のケーブルテレビの発祥とされるのは、1955年(昭和30年)の伊香保温泉です。
山あいの伊香保はテレビの電波が届かない土地でした。
そこでNHKが物聞山(ものききやま)の山頂に共同受信アンテナを設置し、同軸ケーブルで温泉街へテレビ放送を届けたのです。
「温泉に来たのにテレビが見られない」という悩みが、全国のケーブルテレビ網の出発点でした。
現地にはパラボラアンテナを模した記念碑が建っています。
洋式牧場(下仁田町)——日本最古は神津牧場
ソフトクリームやバターでおなじみの観光牧場。その原点も群馬にあります。
下仁田町の神津牧場は1887年(明治20年)開設、日本最古の洋式牧場です。
場所は標高850〜1375mの高原。夏でも涼しいこの土地が、暑さに弱い乳牛に向いていました。
今もジャージー牛を育て、自家製のバターやチーズ、ソフトクリームを販売しています。
日本初の機械製粉(館林)、日本初のダイナマイト(高崎)、そして日本最古の洋式牧場(下仁田)——明治の群馬は、新しい産業の実験場だったのかもしれません。
ぶんぶく茶釜(館林市)——舞台は茂林寺
タヌキが茶釜に化ける昔話「ぶんぶく茶釜」。
舞台は館林市の茂林寺(もりんじ)とされています。
境内には今も伝説の茶釜が伝わり、参道にはずらりとタヌキの像が並びます。
舌切り雀(安中市)——こちらも群馬が舞台
同じく昔話の「舌切り雀」も、安中市が舞台という言い伝えがあります。
ぶんぶく茶釜と並んで、誰もが知る昔話の舞台が2つも県内にあるというのは珍しいことです。
タッチ(伊勢崎市・前橋市)——あの高校のモデルは前橋商業
最後は少し毛色の違う話を。
野球漫画の名作「タッチ」の作者・あだち充は伊勢崎市の出身です。
作中の高校のモデルになったのは、母校である群馬県立前橋商業高校だと言われています。
同校の野球部は応援でタッチの主題歌を演奏し、あだち氏も応援用のメガホンやチームバスにイラストを提供してきました。
ちなみに、あだち氏は野球部ではなく商業美術部だったそうです。
番外編|発祥ではないけれど、群馬が支えているもの
ここまで34個を見てきましたが、最後に「発祥ではない」ものも紹介させてください。
群馬にあるのに群馬生まれではないもの、そして群馬の名を持つのに群馬の会社ではないもの——この記事とは逆のパターンを3つです。
ハーゲンダッツ(高崎市)——世界に3カ国しかない工場のひとつ
ハーゲンダッツはアメリカ生まれのブランドなので、群馬発祥ではありません。
ただし、ここからが群馬のすごいところです。
ハーゲンダッツのアイスクリーム工場は、世界で3カ国にしかありません。
アメリカ・フランス・日本——その日本の工場が、群馬県高崎市にあるのです。
3カ国のうちアジアは日本だけ。つまりアジアで唯一のハーゲンダッツ工場が群馬にあるということです。
生産を担うのは高梨(たかなし)乳業で、ハーゲンダッツだけを作る専用工場を構えています。
発祥ではないけれど、群馬が世界基準の一角を担っているわけです。
カインズ(高崎市に本部を置いていた)
ホームセンターのカインズも群馬のイメージが強い会社ですが、1号店は1978年の栃木県栃木市(いせやホームセンター栃木店)で、現在の本社は埼玉県本庄市です。
1991年から約30年、本部が群馬県高崎市にあったため「群馬の会社」の印象が残っています。
「群馬で生まれた」わけではないけれど、「群馬が育てた」時期のある全国区。
発祥だけが土地の誇りではない、という例として挙げておきます。
ガリガリ君(赤城乳業)——「赤城」なのに埼玉の会社
ここまでは「群馬にあるのに、群馬生まれではない」ものでした。
最後はその逆で、群馬の名前を持っているのに群馬の会社ではないもの。
ガリガリ君でおなじみの赤城乳業は、埼玉県深谷市の会社です(1961年設立)。
群馬の名峰・赤城山の名を掲げていますが、群馬の企業ではありません。
では、なぜ「赤城」なのか。
社名の由来がすばらしくて、「噴火しなければ富士山よりも裾野が広かったと言われる赤城山、その裾野のような、大衆のための商品を作りたい」という願いから付けられたそうです。
サッポロ一番は札幌を名乗って前橋生まれ、赤城乳業は赤城を名乗って埼玉の会社。
群馬の名前は、県境を越えて使われていました。
まとめ|群馬は、送り出す県だった
こうして並べてみると、群馬の発祥にはひとつの共通点が見えてきます。
生み出したものが、群馬を離れて全国のものになっているのです。
温泉まんじゅうは、いまや全国どこの温泉地でも「その土地の名物」として売られています。
日清製粉の機械製粉は、日本中のパンと麺を支えるようになりました。
ワークマンは47都道府県すべてに店を構えています。
群馬で生まれたものが、行った先々でその土地に根づいている——そういう広がり方をしています。
理由のひとつは、群馬が「人とモノが行き交う」県だったこと。
中山道と三国街道が通り、江戸と北国を結ぶ物流の要でした。
峠の釜めしも、だるま弁当も、街道と鉄道が集めた人のために生まれたもの。
たくさんの人の手に渡る場所だからこそ、いいものは自然と外へ広がっていきました。
もうひとつは、群馬がものづくりの県だということ。
生糸で栄えた土地には工場と職人が集まり、そこから中島飛行機(現SUBARU)が生まれ、日本初の機械製粉やダイナマイトの国産化も担いました。
高崎だるまが冬の空っ風から、下仁田ネギが下仁田の土から生まれたように、この土地でなければできなかったものが、たしかにあります。
ハーゲンダッツが世界3カ国のうちの1カ所に群馬を選んだのも、偶然ではないのでしょう。
看板に名前は出ていなくても、群馬が作ったものは今日も全国で使われ、食べられています。
次にサッポロ一番を食べるとき、少しだけ群馬を思い出してもらえたら嬉しいです。
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