広島県発祥のもの38選|けん玉もダイソーも実は広島生まれ

けん玉を持つ手。実は広島が発祥
目次

知ってた?実は広島が生んだ意外な発祥 4選

100円ショップの商品と小物が並んだイメージ
100円ショップ最大手のダイソーは、広島県東広島市が本社

広島を調べていて驚いたのは、全国チェーンとなった意外な企業や発明が、広島生まれということです。
なぜ広島には、これほどたくさんの発祥があるのでしょうか。

ダイソー(東広島市)——100円ショップの最大手

100円ショップといえばダイソー。運営する大創産業の本社は、広島県東広島市です。
設立は1977年、創業者は矢野博丈(やの ひろたけ)さん。
始まりはスーパーの駐車場を借りた移動販売の露店でした。
そこから売上6,765億円(2025年2月期)の企業に育っています。
全国どの街にもある店の本部が、広島にあります。

カルビー(広島市)——社名は「カルシウム」+「ビタミンB1」

「やめられない、とまらない」でおなじみのかっぱえびせん。
作っているカルビーは、1949年に広島市(現・南区宇品)で「松尾糧食工業」として設立された会社です。
1955年に社名をカルビーへ変更。この名前の由来がまた、時代を映しています。
当時の日本人に不足しているとされた「カルシウム」の「カル」と、「ビタミンB1」の「ビー」を組み合わせたもの。
食べものが足りない時代に、栄養を届けようとした志がそのまま社名になりました。

洋服の青山(福山市)——紳士服チェーンの最大手

スーツを買うならまずここ、という洋服の青山。運営する青山商事は紳士服の最大手です。
設立は1964年(昭和39年)、広島県府中市(福山市の北隣)。資本金100万円からの出発でした。
創業者は青山五郎さん。現在の本社は福山市にあります。
府中も福山も備後(びんご)と呼ばれる地域で、古くから繊維や家具のものづくりが盛んな土地でした。

電気蚊取り(広島市)——世界で最初に作ったのはフマキラー

コンセントに挿して使う電気蚊取り。世界で初めて作ったのは、広島の会社でした。
フマキラーが1963年(昭和38年)に発明・開発した「ベープ」が世界初です。
会社の始まりは1874年(明治7年)、広島県安佐郡祇園町(現・広島市安佐南区祇園)の薬種商
社名はfly(ハエ)の「フ」、mosquito(蚊)の「マ」、そしてkillerを合わせたものです。
150年前に薬屋として始まった会社が、夏の必需品を世界に先駆けて生み出しました。

広島発祥の「食」 14選

鉄板の上で焼かれた広島のお好み焼き
そばを重ねて焼く広島のお好み焼き。現地では「広島風」とは呼ばない

続いては食べもの。
瀬戸内の海、島の斜面、そして港町——広島の地形がそのまま味になっています。

お好み焼き(広島市)——現地では「広島風」とは言いません

キャベツをたっぷり乗せ、そばを重ねて焼く広島のお好み焼き。
ルーツは戦前からあった「一銭洋食」とされ、薄く伸ばした生地に具を乗せて焼いた、子ども向けの駄菓子のような料理でした。
食べものが乏しい時代に、安く手に入るキャベツでかさを増したことが、今の形につながっていきます。
ちなみに現地ではただの「お好み焼き」。「広島風」と付けるのは県外での呼び方です。
なお2024年、オックスフォード英語辞典に「okonomiyaki」が収録されました。もう説明のいらない言葉になりました。

お好みソース(広島市)——鉄板から流れ落ちない、を目指して

お好み焼きに欠かせない、あのとろりとしたソース。
作っているオタフクソースは広島市西区の会社で、1952年にお好み焼き専用のソースを開発しました。
きっかけは、お好み焼き店からの「ウスターソースはサラサラで鉄板に流れ落ちてしまう」という声。
そこでとろみをつけたところ、当初は「ドロドロで気持ちが悪い」とも言われたそうです。
現場の困りごとから生まれた調味料が、今では海外でも売られています。

牡蠣の養殖(広島市)——約500年前に「養殖の法」を発明した

広島といえば牡蠣。全国生産量の5〜6割を占める、日本最大の産地です。
その始まりは室町時代の終わり頃(天文年間・1532〜55年)とされ、約500年の歴史があります。
大正13年に草津村役場が出した「草津案内」には、「天文年間、安芸国において養殖の法を発明せり」と書かれています。

なぜ広島湾なのか——理由は地形でした。
太田川などの川が山の栄養を運び込み、多島海に守られて波が穏やか。
牡蠣が育つのに、これ以上ない条件がそろっていたのです。
養殖法も、海に竹を立てる「ひび建て」から、筏(いかだ)から吊るす垂下式へと進化してきました。

かき醤油(福山市)——醤油屋が牡蠣に出会って生まれた

牡蠣のエキスを加えた「かき醤油」を生み出したのはアサムラサキ。
始まりは1910年(明治43年)、藤井國五郎が深津村(現・福山市東深津町)で開いた醤油製造業でした。
もとは普通の醤油屋。それが日本一の牡蠣の産地にあったことで、かき醤油という主力商品が生まれます。
地元にたっぷりある素材を、調味料に変えてしまった一本でした。

イカ天(尾道市)——全国のメーカー10社のうち9社が広島にある

おつまみでおなじみのイカ天は、硬いするめをやわらかく伸ばし、衣をつけて揚げたもの。生のイカの天ぷらとは別物です。
メーカー自身の説明によれば、全国のイカ天製造メーカー10社のうち9社が広島そのうち5社が尾道市にあります。
といっても、イカが獲れるからではありません。漁獲量は北海道と青森が圧倒的で、原料のするめも尾道では獲れないのです。

答えは江戸時代の北前船にありました。
瀬戸内交通の要衝だった尾道の港へ、船は北海道では手に入らない「塩」を求めて集まり、最上級のするめや昆布を運び込みます。
こうして原料が集まる町で手作りされていたイカ天が、昭和30年代の機械化で量産され、全国のおつまみになりました。
獲れる場所ではなく、集まる場所が産地になる。港町らしい成り立ちでした。

国産レモン(尾道市瀬戸田ほか)——生産量シェア48%の日本一

国産レモンといえば広島。栽培が始まったのは明治31年のことでした。
令和5年の生産量は4,659トンで、全国シェア48%の日本一(農林水産省の調査による)。
なぜ瀬戸内なのか。レモンは寒さを嫌う果物で、瀬戸内沿岸の島しょ部は比較的温暖だったからです。
段々畑の斜面が日当たりと水はけを稼いでくれるのも、この土地ならではでした。

ハッサク(尾道市因島)——お寺の境内で偶然生まれた

春先に出回る柑橘・ハッサク。
生まれたのは江戸時代末期、因島(いんのしま/現・尾道市因島田熊町)の恵日山 浄土寺(えにちざん じょうどじ)の境内でした。
人が交配して作ったのではなく、種から偶然に生えてきた木だったと伝わります。
それを見つけた住職・小江恵徳(おえ えとく)上人が育て、広めました。
お寺の庭に生えた一本の木が、全国のスーパーに並ぶ果物になりました。

あなごめし(廿日市市宮島口)——開通したての駅で売るために生まれた

宮島の名物・あなごめし。始まりは明治34年(1901年)、廿日市市(はつかいちし)の宮島口で売られた駅弁でした。
考案したのは「うえの」の初代・上野他人吉(うえの たにきち)さん。
宮島でふるまわれていた穴子どんぶりの白飯を工夫し、穴子のアラで炊き込んだ醤油味のご飯を編み出しました。
そこへ穴子をびっしり敷き詰め、開通したばかりの宮嶋駅で売り出したのが最初です。

なぜアナゴなのか——江戸時代の地誌『芸藩通志(げいはんつうし)』にも書き残されているほど、この地の穴子が美味しかったから。
地元の魚を、身も骨もまるごと使い切る工夫が、120年続く名物になりました。

汁なし担担麺(広島市)——2001年生まれの新しい名物

スープのない担担麺を、卓上で30回混ぜてから食べる——広島の汁なし担担麺。
2001年に広島市中区で創業した「きさく」が始まりとされます。
発祥が20年ほど前という、この記事の中ではかなり新しい一品。
今では市内に専門店が林立し、広島の定番になりました。

バウムクーヘン(広島市)——日本で最初に売られた場所は、のちの原爆ドーム

バウムクーヘンが日本で初めて売られたのは、広島でした。
第一次世界大戦の捕虜として来日したドイツ人菓子職人カール・ユーハイムが、1919年(大正8年)3月4日、広島物産陳列館で開かれたドイツ作品展示即売会で販売したのが最初です。
そしてこの広島物産陳列館こそ、のちの原爆ドーム
日本のバウムクーヘンは、あの建物から始まりました。
ユーハイムが収容されていた広島湾の似島(にのしま)には、伝来の地の碑が建っています。

デニッシュとトングのパン屋(広島市)——どちらもアンデルセンが最初

どのパン屋にもあるデニッシュペストリー。日本で初めて販売したのは、広島市のアンデルセンでした。
創業者の高木俊介さんが1959年、デンマークのコペンハーゲンで食べて感銘を受けたのがきっかけ。
店名の「アンデルセン」も、デンマークの童話作家から取られています。

そしてもうひとつ。お客がトングでパンを選んでトレーに乗せる方式も、この店が最初でした。
今では当たり前になったパン屋の買い方そのものが、広島から広がったわけです。

八天堂のくりーむパン(三原市)——和菓子屋から始まった

冷やして食べるとろけるパン、で知られる八天堂。
始まりは1933年、三原市で開業した和菓子店でした。
和菓子屋→パン屋→くりーむパンという、業態を変えながらたどり着いた一品。
全国の駅ナカや百貨店で買えるようになった今も、本社は三原にあります。

保命酒(福山市鞆の浦)——ペリーの接待にも出された薬酒

鞆の浦(とものうら)の名物・保命酒(ほうめいしゅ)は、万治2年(1659年)に中村吉兵衛が考案した薬用酒です。
みりんに13種類の生薬を漬け込んだもので、正式名は「十六味地黄保命酒」。
製法は門外不出・一子相伝とされ、中村家は豪商へと成長しました。

愛飲したのは公家や上級武士、豪商たち。朝鮮通信使が備後に立ち寄った際にも出され、幕末にペリーやハリスが来航した際の幕府の接待にも使われています。
なぜ鞆の浦なのか。ここは瀬戸内の潮の流れがぶつかる「潮待ちの港」で、船が必ず滞在する町だったからです。
人が足を止める港だからこそ、名物が育ちました。

ゆかり(広島市)——梅干しの色づけ用の赤しそから生まれた

赤しそのふりかけといえば「ゆかり」。作っているのは広島市の三島食品です。
誕生は1970年梅干しの色づけに使われていた赤しそに目をつけ、これでふりかけを作れないかと開発したのが始まりでした。
最初は業務用として世に出た商品です。

名前の由来がまた風流で、和歌に詠まれたむらさき草から来ています。
「一本のむらさき草が咲いている、その縁(ゆかり)だけで武蔵野の草花すべてが愛おしく感じる」——この歌に由来して、「ゆかりの色」といえば紫色を指すようになりました。
赤しその紫を、そのまま名前にしたわけです。
ちなみに三島食品は、ふりかけの業務用でトップシェアを占めています。

全国区になった広島の企業 8選

赤いオープンスポーツカー
マツダの本社は広島県府中町。創業はコルクの会社だった

看板に広島の名は出ていないけれど、始まりはこの土地——そんな会社が並びます。
自動車から万年筆、ボール、ヨーグルトまで、業種はばらばらです。

マツダ(府中町)——コルクの会社から自動車メーカーへ

広島を代表する自動車メーカー・マツダ。
始まりは1920年創業の「東洋コルク工業」——なんとコルクを作る会社でした。
その後、機械工業へ転じて三輪トラックを製造し、自動車メーカーへと育ちます。
なぜ広島だったのか——鍵は創業者・松田重次郎(まつだ じゅうじろう)の来歴にありました。
1875年に広島市南区向洋(むかいなだ)で生まれ、13歳で大阪へ出て鍛冶屋で修行。
その後呉や佐世保の海軍工廠で造船技術者として働き、機械の技術を身につけて故郷へ戻ってきた人でした。
海軍の街で磨かれた腕が、そのまま郷里の産業になったわけです。
今の本社(安芸郡府中町)は、松田が生まれた向洋のすぐ隣にあります。
ちなみに広島東洋カープの「東洋」は、マツダがかつて名乗っていた社名「東洋工業」にちなんだもの。車の会社の名前が、球団名の中に今も残っています。

エディオン(広島市)——戦後2年目の広島で生まれた

家電量販店のエディオン。本店は今も広島市中区の紙屋町にあります。
母体となったのは、1947年(昭和22年)に広島市で設立された「第一産業」。のちのデオデオです。
原爆から2年後の広島で電気製品を扱い始めた会社が、全国チェーンの一角になりました。
街の復興と一緒に大きくなっていった会社、と言っていいと思います。

福山通運(福山市)——備後から全国へ伸びた物流網

全国に路線を持つ運送会社・福山通運。1948年(昭和23年)設立で、本社は今も福山市です。
福山は山陽道と瀬戸内航路が交わる土地
人と荷物が行き交う場所に、運ぶ会社が育ったわけです。

ポプラ(広島市)——中国地方から生まれたコンビニ

店内で炊いたご飯をよそう「ポプ弁」で知られるコンビニ・ポプラ。
1976年に広島市で1号店を開きました。
大手が東京から広がっていったのに対し、地方から生まれた数少ないコンビニチェーンです。

セーラー万年筆(呉市)——社名の「セーラー」は水兵のこと

万年筆の老舗・セーラー万年筆。1911年(明治44年)、阪田久五郎が呉市で「阪田製作所」として創業しました。
社名の由来がこの土地らしくて、軍港都市・呉にあって、いつか自分の製品を船で海外へ送り出したいという願いから。
さらに「ひとりの提督より、多くの水兵(セーラー)が大切だ」という考えも込められています。
そして意外なことに、この会社は日本で初めてボールペンを製造し、カートリッジ式万年筆の特許も取得しています。
港町の会社が、日本の筆記具そのものを前に進めていました。

ミカサとモルテン(広島市)——世界の球技を支える2社が同じ街に

オリンピックのバレーボールで使われる公式球のミカサ
バスケットボールやサッカーボールで知られるモルテン
この2社とも、本社は広島市です。

ミカサの始まりは1917年、増田増太郎が広島市に設立した「広島護謨(ゴム)株式会社」
モルテンは1958年設立の「モルテンゴム工業」で、こちらも広島市西区。
どちらもゴムの会社として出発しているのが共通点です。
世界の試合で転がっているボールが、同じ街から2つ出ている。偶然と言うには、少し出来すぎた話です。

チチヤス(廿日市市)——日本で初めてヨーグルトを売った会社

「チー坊」のキャラクターでおなじみのチチヤス。
創業は1886年(明治19年)で、中小の乳業メーカーとしては最古クラスです。
そして特筆すべきは、1917年(大正6年)に日本で初めて「ヨーグルト」を販売したこと。
日本人がヨーグルトという食べものに出会った最初の入り口が、広島の会社でした。

4℃(広島市)——始まりは繊維問屋だった

ジュエリーブランドとして知られる4℃(ヨンドシー)。
その出発点は、1950年に広島市で設立された繊維問屋「十和織物(とおわおりもの)」でした。
布を扱う問屋が、のちにアパレルへ、そしてジュエリーへと商いを広げていったのです。
本社は現在、東京都品川区。都会的なブランドの原点が広島にありました。

歴史と文化の発祥 8選

並べられた3本の矢
毛利元就が3人の子に説いたとされる「三本の矢」

続いては歴史と文化。
戦国武将の教えや島の祭りに加えて、この土地の手仕事から生まれたものも並びます。

三本の矢(安芸高田市)——毛利元就の教え

「一本の矢は折れるが、三本まとめれば折れない」——結束を説く、あの三本の矢の話。
戦国大名毛利元就(もうり もとなり)が、3人の息子に説いたとされる教えです。
元就の本拠地は安芸高田市(あきたかたし)の吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)でした。
実際に矢を折ってみせた逸話は後世の脚色とも言われますが、元就が息子たちに結束を求める書状を残したのは事実です。
サッカーのサンフレッチェ広島の名も、この教えから来ています(「サン」=3、「フレッチェ」=イタリア語で矢)。

けん玉(廿日市市)——木工の町が量産を引き受けた

世界大会が開かれるほど広まった、けん玉。
現在の形を考案したのは、呉市に住んでいた職人・江草濱次(えぐさ はまじ)さん。1918年に「日月ボール(にちげつボール)」として世に出しました。
なぜ廿日市が発祥の地とされるのか。江草さんが廿日市の木材加工の技術に目をつけ、地元の木工所に製造を頼んだからです。
1921年頃から廿日市での生産が始まり、実演販売で全国に広がっていきました。
木の町だったことが、そのまま「けん玉の町」につながっています。

宮島の管絃祭(廿日市市)——海の上で舞う平安の遊び

厳島神社の管絃祭(かんげんさい)は、平安貴族の「管絃の遊び」を海の上で再現する祭りです。
平清盛が始めたと伝わり、900年近く続いてきました。
なぜ海の上なのか。厳島は島そのものが神とされ、陸に社殿を建てることをはばかったからです。
だから社殿は海に浮かび、祭りも舟の上で行われます。

樽募金(広島市)——ファンの寄付で球団を救った

広島東洋カープは1949年12月5日創立親会社を持たない市民球団を源流に持つチームです。
原爆から4年後の街に生まれ、資金難で何度も消えかけました。
そこで生まれたのが「樽募金」。本拠地の球場前に酒樽を置き、ファンがそこへお金を入れたのです。
公務員の初任給が7千円前後の時代に、1日で数万円、多い日は10万円以上が集まりました。
1951年末までの支援金は約440万円にのぼり、その年は130万円の黒字に。
ファンの寄付で有力選手を獲得した球団は世界でも稀とされ、のちにNHK『プロジェクトX』でも取り上げられました。

三次人形(三次市)——別名は「光人形」

つやのある土人形・三次人形(みよしにんぎょう)。表面に塗った膠(ニカワ)が独特の光沢を出すことから、「光人形(ひかりにんぎょう)」とも呼ばれます。
起源は寛永年間、三次藩主・浅野長治が江戸浅草の人形師・森喜三郎を連れ帰って作らせたのが始まりと伝わります(ただし裏付ける資料は残っていません)。
2006年には広島県の無形文化財に指定されました。

熊野筆(安芸郡熊野町)——国内シェア8割の「筆の都」

書道の筆から化粧筆まで、熊野町は国内シェア8割を占める日本最大の筆の産地です。
同じ広島の川尻筆と合わせると、広島県産だけで国内の9割にのぼります。
なぜ熊野町なのか。江戸時代、熊野村は農地が狭く、峠に囲まれた土地でした。
農閑期に関西へ出稼ぎに行き、その帰りに奈良筆や有馬筆を仕入れて行商したのが入り口です。
やがて自分たちで作るようになり、家を守る女性の副業として根づいていきました。
農地の狭さを補うための工夫が、世界のメイクアップアーティストが使う道具になりました。

熊野の化粧筆(安芸郡熊野町)——先に海外で評判になった

書道の筆で培った技術は、やがて化粧筆という新しい市場を生みました。
面白いのは広まり方で、先に海外で評判になり、国内では口コミで知られている程度だったこと。
流れが変わったのは2011年、なでしこジャパンの国民栄誉賞の記念品に選ばれたときでした。
ここから国内での知名度が一気に上がります。
農閑期の副業から始まった技術が、国を代表する贈り物に選ばれたのです。

国産乗合バス(広島市西区・横川)——日本で最初に走った国産バス

路線バスの歴史をたどると、広島市の横川(よこがわ)に行き着きます。
先に整理しておくと、バス営業そのものの日本初は京都(明治36年・蒸気自動車を改造した車両)。
広島が持っているのは「国産車で走った最初」という記録です。

明治38年(1905年)、横川〜可部(かべ)の14.5kmで、日本で初めて国産車によるバスが走りました。
横川駅前には復元された「レトロバス」が展示され、足元に「日本最初の国産乗合バス誕生の地」のパネルが埋め込まれています。
ただしこの路線、わずか半年で運行中止になりました。
理由は、仕事を奪われる地元の馬車業者の反発と、タイヤのパンクが多発したこと。
日本初はいつも、順風満帆とは限らないようです。

番外編|長年、論争が続いている発祥 4選

皿に盛られたカニカマ
カニカマは元祖とされる会社が3つある

最後に少し変わったものを。
発祥の地がひとつに決まらず、今も複数の説が並んでいるものです。
広島にはこの手の話題が多いのですが、それは裏を返せばそれだけ古くから人とモノが行き交ってきた土地だということでもあります。

お好み焼き——そもそも大阪側にも記録がない

食の章でも触れたお好み焼きですが、発祥となると話が変わります。
広島と大阪、どちらが本家か。たびたび話題になるテーマです。
ところが調べてみると、「生地にキャベツを混ぜ込んで焼く」という大阪お好み焼きのスタイルが、いつどこで生まれたのか、明確な記録は存在しないとされています。
そもそも2つは別系統で、広島は生地の上に具を重ねる「乗せ焼き」、大阪は生地に混ぜる「混ぜ焼き」。
本家を決める以前に、どちらも出自がはっきりしていない料理でした。

肉じゃが——呉と舞鶴、どちらにも根拠がある

家庭料理の定番・肉じゃがは、2つの市が「発祥の地」を掲げています
1995年10月、京都の舞鶴市が宣言。東郷平八郎が初めて司令長官として赴任したのが舞鶴だから、という理由でした。
1998年3月には呉市も。こちらの根拠は「東郷は舞鶴に行く10年前、呉鎮守府の参謀長として赴任していた」
どちらにも言い分があり、結論は出ていません。おかげで両方の街で「発祥の地」の肉じゃがが食べられます。

カニカマ——元祖とされる会社が3つある

サラダにもお弁当にも入っているカニカマ。
1970年代前半、新潟県と広島県の業者がズワイガニに似せた食品を作り始めたのが起こりです。
元祖については広島の大崎水産・石川のスギヨ・マルハの3説が並び立っています。
『週刊文春』1983年7月14日号は、広島の大崎水産を元祖とする記事を載せました。
世界中で食べられている食品の出発点が、この3つのどこかにあります。

喫茶店のモーニング——3つの街が、それぞれ別の理由で始めた

朝の喫茶店でコーヒーを頼むとトーストが付いてくる、あのモーニング。
発祥といえば愛知県一宮市が有名ですが、広島にも説があります
広島市中区の喫茶店「ルーエぶらじる」には、1956年撮影の写真に「モーニングサービス」と書かれた看板が写っており、日本最古の記録ではないかと報じられました(共同通信)。

この一件が面白いのは、一宮・豊橋・広島が、昭和30年前後にそれぞれ違う理由で始めていることです。
一宮は繊維業の商談の場として。そして広島は——原爆で傷ついた街の人が前に進めるよう、背中を押したかったから、と語り継がれています。
どこが最初かは確定していません。
ただ、同じ一皿が違う願いから生まれたという事実のほうが、順位よりも心に残ります。

こうして見ると、「発祥」はきれいに1つに決まらないことのほうが多いとわかります。
決まらないまま、それぞれの土地で愛され続けている——それもまた面白いところです。

まとめ|広島は、海と技がつないだ県だった

島と橋、造船所が見える瀬戸内海の風景
島と海と工場が同じ視界に収まる。広島は「海と技」の県

こうして並べてみると、広島の発祥にはいくつかの共通点が見えてきます。

ひとつは、瀬戸内の海がもたらしたもの
島に囲まれて波が穏やかな広島湾は牡蠣を育て、温暖な島しょ部はレモンを日本一の産地に押し上げました。
潮待ちの港・鞆の浦には保命酒が生まれ、宮島へ渡る駅の弁当からはあなごめしが生まれました。
北前船がするめを運び込んだ尾道は、イカ天メーカーが集まる町になっています。
海が人と物を集め、集まった場所に名物ができた——そういう順番でした。

もうひとつは、手の技が積み重なってきたこと
熊野町では農閑期の副業として始まった筆づくりが国内シェア8割になり、廿日市の木工技術はけん玉を量産できる場所になりました。
呉の海軍工廠で腕を磨いた松田重次郎は、故郷に戻ってコルク会社を自動車メーカーへ変えました。
その土地に技があったから、その土地で生まれたものばかりです。

ミカサとモルテンという、世界の球技を支える2社が同じ街から出ているのも偶然ではないのでしょう。
看板に広島の名は出ていなくても、広島で生まれたものは今日も全国で使われ、食べられています
次にかっぱえびせんを食べるとき、少しだけ広島を思い出してもらえたら嬉しいです。

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